現代の学校教育
先日、地元の小学校のPTA会報の原稿作成を近所のママさんに頼まれた。
私自身は、PTA役員じゃないので本来関係ないのだが、ご近所のよしみもあるのでお手伝いすることにした。
それにしても最近は、PTAさんも自分達でWORDやらデジカメやら駆使して、結構凝った原稿作るんですねぇ。
私が子供の頃なんて、学校で作るプリントなんて全部ガリバンで手書きだったのにねぇ。隔世の感がありましたよ。
学校行事のデジカメ画像、それからPTA役員さんなどが書いた手書き原稿をもとに、ワードの文書におこす作業をしたのですが、まず第1稿を見たあるPTAさんからこんな指摘が入った。
「このマラソン大会の写真なんですけど、男子しか写ってませんよね。女子が写ってる写真も入れてもらえませんか?それから、この写真のこの一番前の子、体操着に書いてある名前がかすかに読み取れてしまうので、外すか加工してもらえませんか?一人だけ目立ってたり、個人が特定できるような写真だと、苦情が出ることがあるので・・・」
; ̄ロ ̄)!!
風の噂で、最近のそういう風潮を聞いていたけど、本当にそういうことを言われるとは思ってもみなかった。
なにせ素人PTAさんが普通のデジカメで撮った写真。ピンボケや露出不足やらで使えそうな写真が少なく、数少ない躍動感のある写真を選んだつもりだったが、そういうのは却下らしい。
体操着の名前ったって、苗字だけだし、小学校の思い出的なページの写真に顔やら名前が写ってちゃダメっていうのもねぇ・・
結局当たり障りがなく男女とも平均的に写っている写真を選ぶことになったのだが、かなり引きの構図で、これを縮小してレイアウトに当てはめたんじゃぁ、マラソンなんだか整列してるだけだか訳がわからない写真になっちゃうような気がしたのだが、「それでOK」とのこと。
続いて、卒業する6年生が小学校生活の思い出や将来の夢と自画像を描いた紙もその会報に載せるということで、全員の分をスキャナーで取り込んだ。卒業文集なんかによく見かけられる、”アレ”である。
全員といっても、やっぱり少子化なんですねぇ。私が子供のころの半分くらいしか生徒いないんですねぇ。
ここでまた指摘が入ったが、これにはさすがに辟易した。
「この子の自画像、線が太くて潰れ気味なので、これって線を細く加工って出来ませんか?」
「この子、自分の名前書き忘れているんですよ。それからこっちの子は漢字間違えているですよぉ。あとでここだけ書き直して差換えできますか?せっかくの思い出であとまで残ってしまうものなのでかわいそうですからぁ」
6年生ともなればかなり上手に自画像が描ける子もいるし、逆に顔だかなんだかわからないような絵が下手な子もいる。
漢字が苦手な奴もいれば、名前を書き忘れるおっちょこちょいもいる。
でも手書きの筆跡やタッチから、やんちゃな感じや、繊細さが読み取れたりする。
それが個性ではないだろうか。
楽しかった事も恥ずかしかった事もすべてが実際に子供たちが過ごした時間であり、それが思い出になるのではないだろうか。
将来それを見返した時に、「こいつは昔っからなぁ・・」とか笑いながら思い出話が出来るようになるのが成長なのではないだろうか。
そんな大事な過去を、第3者の大人が勝手に改変してはいけないと思うのだが。
個性重視教育という反面、運動会でも順位をつけない悪平等教育が広がっていると世間で言われているが、今回の一件からもその一面を感じとってしまった。
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