高田渡 お別れ会
4月28日、武蔵小金井の小金井市公会堂で行われた「高田渡 お別れ会」に行ってきました。
本当は午後1時の開演から行くつもりだったんだけど、やはり月末の週末のGW前なので仕事のキリが悪く、現地に18時半ごろの到着となってしまった。
しかも慌てて出てきたので、公会堂の場所を詳しくチェックしなかったもので、駅を出てから会場までちょっと遠回りしてしまった。
会場について、正面のホール入り口から入ろうとしたら、すでに立ち見が一杯で入っていくことが出来ない。
と、そんな中で聞こえてきた歌声。「つ〜めた〜い雨が〜♪」
( ゜ ▽ ゜ ;)エッ!!このお声は、井上陽水ではないですか。
慌てて横の入り口からなんとかホール内に入っていくと、当然座席は満席。
そして、舞台上では陽水が一人ギターを弾きながら、「傘がない」を唄っている。
うぁ、もっと早く来ればよかったぁ(〒_〒)ウウウ
ホール真ん中あたりの通路が空いていたので、そこに座ってふと横を見ると・・・
うぁ中川五郎だ!
去年初めて高田渡のライブを見たとき、共演していた五郎さん。「主婦のブルース」大好きです。その時サインもいただきました。思わず挨拶してしまいました。
その隣には、東京乾電池のヒゲの綾田さんもいるし。
と思っているうちに、陽水はすでに曲も終わり、舞台を去っていった。カメラ出す間もなかった。残念。
会は、お別れ会とはいっても、渡さんの愛すべき人柄からか、楽しい雰囲気だった。
訪れたみんなが渡さんの飄々とした振る舞いとその思い出に、ゆったり浸かっているような。
その数組後に、今度はなぎら健壱と坂崎幸之助がステージに登場。会場のボルテージが一気にあがった。
ちょうど昼間、BSフジで緊急追悼番組で過去渡さんが出た番組を再放送していて、そこにもお二人で登場して唄っていたが、まさにその再現だ。
「3億円事件の歌」を熱唱。
その後もそうそうたる出演者。(残念ながら全員の顔と名前が一致していない。勉強が足りないなぁ)
遠藤賢司(エンケンエピソードもそのうち書きたいと思う)
中川イサト、中川五郎、大杉漣・・・
最後には、みんなステージに登場
そこには、小室等、鈴木慶一、千葉和臣、笑福亭鶴瓶、柄本明、加川良の姿が
「くつが一足あったなら」「私の青空」を合唱。
その後も、アンコールで「生活の柄」「自転車にのって」を唄ってフィナーレを迎えた。
なんだか、最後にステージの奥から、ブラブラと苦笑いしながら渡さんが出てきそうな、そんな気持ちになった。
発起人の皆さん、素敵な会をありがとうございました。
そして、渡さん、お疲れ様。天国でのんびり酒でも呑んでください。
でもまた呑みすぎちゃダメですよ。
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お別れ会の中で、発起人の一人中川五郎さんが、前日新聞等に寄せた「高田渡への想い」を涙をこらえながら朗読されてました。非常に感銘を受けました。
五郎さんのホームページに今日掲載されていました。
私も忘れたくない文章なので、誠に勝手ながら転用させていただきました。
『高田渡を悼む』
自分の人生の伴走者。しょっちゅう会っていなくても、話をしなくても、この人だけはいつも自分のそばを一緒に走ってくれていると思える存在。それが親友というものではないだろうか。人生にそんな同志、伴侶がいるのは、とてもしあわせなことだ。
ぼくの場合、それは高田渡だった。その人がいなくなってしまうという、あってはならないことが起こってしまった。
知り合ったのは1960年代後半、どちらもまだ高校生。当時日本で広がり始めたアメリカのフォーク・ソングが二人とも大好きで、会えばウディ・ガスリーやピート・シーガー、ボブ・ディランなど、フォークの先達の話を熱心に語り合った。
それぞれ自分の曲を作ったり、歌ったりしていて、渡は日本や外国の詩にアメリカのフォークのメロディを結びつけることで、独自のスタイルを築き上げていった。
自分のものではない添田唖蝉坊の演歌の詞と自分のものではないカーター・ファミリーの曲が結びついた「虱の旅」は、誰のものでもない高田渡の歌になっていた。金子光晴の詩とミシシッピ・ジョン・ハートの曲が結びついた「69」は、誰のものでもない高田渡の歌になっていた。シェフチェンコの詩とレッドベリーの曲が結びついた「くつが一足あったなら」は、誰のものでもない高田渡の歌になっていた。
まるで違う二つのものを結びつけて、まったく新しい自分の歌を作り出す。高田渡には歌の錬金術師のようなところがあった。
そんな唯一無二の日本のフォークを次々と作り出しながら、高田渡は小さなお店から大きなホールまで、みんなに呼ばれるまま、40年近く、日本中を歌い回り続けた。
生真面目で、頑固で、照れ屋で、純情だった。だからみんな高田渡を愛した。欺瞞や作為、見せかけが大嫌いで、力あるものに寄り添い、威張る人間を許さなかった。だからみんな高田渡を愛した。
とんでもなく酒を飲むようになり、いろんな人たちにさんざん迷惑をかけた。だからみんな高田渡を愛した。人なつこくて、優しくて、寂しがりやで、人のことばかり思いやる大きな心を持っていた。だからみんな高田渡を愛した。
その渡が4月4日に公演先の釧路で倒れ、16日に還らぬ人となった。葬式なんかするなと渡は言っていたが、18日に近しい者だけで告別ミサをすることになった。場所は渡がいつも飲みに行っていた吉祥寺のいせやのそばの教会。誰にも知らせなかったのに、300人以上もの人たちが集まった。
そのミサで、今はミュージシャンとして大活躍している渡の息子の漣くんが、「とんでもない親父だった。年が経って、いいところばかり語られて、高田渡が美化されないことを願う」と、とても素敵なスピーチをした。余計なことかもしれないが、そんな心配はないとぼくは思う。
人と人生と歌を愛し、そのまっすぐさゆえみんなにさんざん迷惑をかけた渡の生き方は、これ以上はないと言えるほど美しいものだったのだから。
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